にくうどん

shoka・svaha・shava

法蓮草って三文字なんだか家族みたい

20240215-20240221

ニコ「♪ 今度は今度、今は今」

もうすぐ春ですね、梅が満開だねぃ。2024年は「perfect blue 」、「perfect days 」一回目、「哀れなるものたち」、「perfect days」二回目、「ソナチネ」、「その男、凶暴につき」、「あの夏、いちばん静かな海」、「HANA-BI」をみた。いくらか映画について考えたので、初回は特に考えることが多かった「Perfect Days」について書く。北野映画は好きですが、暴力への理解度が低いので、人殴ったら書く。娘に彼氏ができたら一緒に「HANA-BI」みてぇ。息子なら「kids return」だ。

さて、Perfect Days(以下、この作品)についてだが、映画好きの友人が Twitter で絶賛していて二回見に行っていたので、僕も二回行った。映画については特に、良いものを知っている友人が多いので、恵まれていると思う。異世界転生もので辺境伯の家に傍系で生まれたような気分だ。 この作品の主題が何かを考える前に、まず映画についての自分の基本スタンスを書きたいと思う。

映画は鏡であると

映画についてのブログを書くのは初めてなので、たくさんの映画評論を読んだ。どいつもこいつも適当なこと言いやがってと思ったが、全員が全員適当なこと言いたくていってるわけではないと思うので、理由があると思った。それは映画が鏡であるから評論者の人生が反映されるということだ。男子校の男と共学出身の男が同じ大学生活を語らないように、あらゆる映画を鑑賞するという行為はその中に知的な再編集行為が含まれるため、それは誰が語るかによると考える。むしろ映画の中に自分を見出してしまうことの方が多いのではないか。

Perfect Days については歪みの少ない鏡であると感じた。日常映画であったため何を考えてくれというのが自由で、自分が人生のどのステージにあるか、つまり年齢によって刺さるエピソードも違ったかなと思う。

 

以上で書いたことは全部逃げの予防線ですので悪しからず。自分の映画の感想を理解してもらうために今から”肉うどん”をインストールしてもらいます。

最近の肉うどんの考えていること

 

人間の才能の7割は睡眠の質で決まると言われても信じる

コーヒーを飲むという行為は父親の象徴であったのに、いつの間にか朝の習慣になってる

短歌の人間、人間に対して甘いから、人間のことをうたう時柔らかくしすぎている←いや、ワインで煮た鶏肉か

才能が勇気だという人は正気を失っているのか正気を保っているのか論考の余地がある 才能に対して畏敬の念を持ちすぎているのかもしれないという疑問は止まることを知らない

才能あることは最初からできる"らしい"

浅く広くのオリジナリティで勝負してる。全部先祖が武士じゃなくて商人だったせい。

来世はバターになってパンの上で焼かれたい、それか土葬で

地下アイドル辞めたあとの人間悲惨すぎて見れないけど、「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ 」と信じてるから地下アイドル見てる

細川ガラシャ、現代ならミスiDグランプリだっただろ (註:細川ガラシャ明智光秀の娘、細川忠興正室キリシタン、洗礼名がガラシャ石田三成挙兵の際に屋敷を取り囲まれキリシタンのため自刃できず、家臣により介錯される)

ブログって俺の初期衝動だからやめたら全部終わっちゃう気がして、やめらんない 最近みんな終わっちゃってて、自分だけ押し入れで息殺してる

愛嬌とは人にかんがえさせない力

サンタクロースはいるよっていうのが子供の幸せの符号であるように、祈りは通じますかというのも符号になると思う

アイドルでセンスあるやつはブログのタイトルと締め方が優れてる👏オレモー

 

-----Success!! Hello nikuudon's world!-----

 

 

 

最近の主題は、思春期を終わらせていく友人たちの看取り方だ。きっと僕は人よりも思春期が長いので、まだまだここにいられるけれど、みんなはもう、それかもうすぐ成人期に逝ってしまうから、考えなきゃいけない。最近はそれで少し感傷的だね。「俺たちもう終わっちゃったのかなぁ?」「バカヤロー、まだ始まっちゃいねぇよ」という態度でみんながいてくれたら一緒に極楽浄土だったのに、地獄に抜け駆けしやがって、バカヤロー。俺のことは誰が看取ってくれんだよ。

この悩みと自分をこの作品に落とし込んでいった先の主題は、人間の看取り方です。

平山(役所広司)と看取り方

平山は裕福な家の生まれだが、父親と対立し、出奔。トイレ掃除で生計を立てる。現在はスカイツリーのふもとの下町の古びた二階建てのアパートに住み、近所のお母さんの箒の音で毎日同じ時間に起き、盆栽に水をやり、トイレ掃除の仕事にいき、布団に入りながら小説を読み、眠くなったらメガネを外して灯りを消す。といったように一見文化的に見えるがプログラムされた日常を過ごしている。

そのような日々を礼賛するのがこの作品を作った人たちの意図だろうが、自分には出奔した際に実行したプログラムが無限ループして止まらなくなっているようにしか見えなかった。この作品で描かれるのは、その無限ループが非日常によって止まる、つまり、若き日の裕福であった、兄であった、インテリであった、平山を、我々が映画を見ることによって、看取ったのだ。

トイレというテーマと看取り方

現代人はあらゆる行為を外部化するために生きているとも言えるが、一番外部化された行為は排尿・排泄であるかもしれない。責任持たないならせめて掃除しやすいように作れと思う。デザインのせいで掃除箇所が増えているものもあった。聞かなきゃトイレの使い方がわからないものを作るなよと思ったけど、私が芸術をあまりにも解していないことなのかしら。

ホームレス(田中泯)と看取り方とあるいは NOT(欺瞞)

Twitter でこの作品はデザイントイレをアピールしたいから作られた、その主体はホームレスを追い出して、"綺麗な公園" を作った、排除アートの主体と同じだというのを見てから、なんか映画を素直に楽しんだ自分にドギマギして。そして、二回目を見にいった。まず現実世界の制作過程を作品に過度に持ち込むのはナンセンスと思う。あまりにもセンセーショナルで黙殺し得ない事象であるが故に作品とは切り離して、別個に思索すべきだと思う。製作側がそのような事実を加味した上で、良心的に描いたと考えるのが、個人的な趣味で祈りだ。

ホームレスは精霊的に描かれている。ホームレスは、特にこの作品の定住地やコミュニティを持たないホームレスは何に看取られるのだろうか。上と関連させて意見を書くと、行政が看取っていたのに、看取ることをやめて看取る義務を放棄しているのではないか。自分の正義と良心からは信じられぬ、功利主義の結果がこれかとおもう。

アヤちゃん(アオイヤマダ)とタカシ(柄本時生)と看取り方

タカシのような人は必ず看取られる側だよなと思う。返す返すといって、返さずさっさと死んでしまう。人間の類型にあのタイプの根が舐めてるやつっている。自分は貸す側だからあの「はぁ、またかよ」って虚脱感よく知ってる。でもああいうやつって、不意に与えてくれるから、ドーパミン出てやめられなくなっちゃうんだよな。気をつけよ。 アヤちゃんとの関係もタカシが貢いでいるようで、アヤちゃんが迷惑かけられてる。テープ勝手に突っ込まれるとか。嫌いにはなれないんだろうけど。アヤちゃんは平山を動かす最初のボタンを押したね。キスは男のキルスイッチだ。

仕事との関係でいうと、最後の方に清掃の代わりの人を寄越さないことにキレていたところで平山も聖人君子じゃなくて人間なんだなと思って、新しく来た中年の女の人が機械的だったのに対して、平山はコーヒー二本買うとか人間的で、だいぶ無限ループの機械的な人生が終わってきたなと思った。

ラストシーンの後平山はまだトイレ掃除するんだろうか。自分の解釈的には何か変わってて欲しいから実家に戻って欲しいなんて野暮なことを思って欲しい。俺はニコが一番大事だから。

ニコ(中野有紗)と看取り方

ニコは全てだ。コピー&ペーストしてそれが元のとどこか違うってことが人の世にはあるんだよ。ニコとの生活はすべてが輝いてたな、輝きすぎて絶対終わりが来ることがわかるくらいに。読んだことのある本もいつもの銭湯もいつもの仕事だって特別な n+1 回目じゃなくて、1回目の輝きを取り戻す。しかし、何回も繰り返して擦り切れた平山の記憶のフィルムは大切なことも忘れている。おんなじカメラ使ってるニコのこと、そして多分妹のことも忘れてしまっている。ニコは看取れなかった。ヴィクターになるかもしれないと言える、まだ思春期で、主人公のニコに、平山は看取らせることができなかった。「今度は今度、今は今」自身が一番できてないこと、全て引きずって歩いてきた平山だからこそ、ニコには同じ思いをしてほしくなかったのだろう。歌にすることは言葉を自分に取り込むことだから、ニコが歌って自転車を漕ぎ始めた時、平山の大事なことをしっかり受け取ってくれたニコのこと大好きになった。

居酒屋のママ(石川さゆり)と元旦那(三浦友和)と看取り方

ママ(石川さゆり)の「朝日があたる家」良すぎるので、サントラ待ってる。

ママ(石川さゆり)は終わった人なんだと思う。若い頃はそれこそ朝日があたる家みたいに情感のある人生を送っていたのだろうというツヤがあった。特に着物姿は艶やかだったな。でも今は離婚までして、全部の物語が終わってると、髪下ろして買い物袋持って元旦那と店に入る姿見て思った。

ママ(石川さゆり)も元旦那も終わった人、元旦那に限っては本当に終わる、死ぬ人だから平山が無限ループしてる、インテリだった頃の姿に見えているのだろう。

平山は元旦那に影をつかって「何も変わってないわけない」と言っているが、一度終わったらもう、何かを変えたと祈るしかできないのだろう。昔吸えたタバコが吸えないように、一度終わった頃はもう二度とは始まらないのだ。

お前らの看取り方

この映画で思ったのは同じ世界の人間は看取れないってことだ。看取ってるのはみんな別の世界にいるやつなんだと、じゃなきゃ残された方が狂ってしまう。終わりってのはそんな特別なことだとうまくいかなっちゃうんじゃないかな。

つまり、俺ごときにお前らは看取れないから、考えるだけ俺の取り越し苦労ってこと。たとえ終わるって結果が変わらなくても、何かは変わってるはずだから。

ただ一つまだ終わりたくないやつは、まだやらないとほんとに終わったらもう始まらないぞ。鏡見てみろ、自分がもう終わったやつなのか考えろ、案外みんな終わってるからお前まだやれるぞ。あと、俺が終わってたら、終わってるぞって声かけてください。俺はまだ終わらないので。

 

 

え、全部暴論?そうだよ、そんなもんだろ全部。まだ気づいてねぇのかよバカヤロー。

読書記録(○ おすすめ)

Forget me not / 鶴田謙二

○冒険エレキテ島1 / 鶴田謙二

○忘却のための試論 / 吉田隼人

千夜曳獏 / 千種創一

法哲学 / 瀧川裕英・宇佐美誠・大屋雄裕

○宴のあと / 三島由紀夫

流れる / 幸田文

雪国 / 川端康成

間抜けの構造 / ビートたけし

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